2010年12月29日
これでいいのだ。
「あがる」。と言う言葉があります
よく聞きますよね、でも今回の言葉はちょっと意味が違う意味で
料理人が職場を辞める時によく使う言葉で私も使ってました、しっかり意味は
わかりませんが 私なりに考えた意味は調理の仕事を続けながらも 働く場所を変える時
「今の店を あがる」と使うのだと思う、漢字もどう書くのかすらわかりません。
私は今に至るまでに 何件もの店やホテルで働いて来ました、本当は一つの店や会社で
長く働いていたほうが言いに決まってる、でもそれでは満足が出来なかったのだと思ってます
私の心の中には、泉があり水があってもどんどん吸収されてしまう
今はその水の事を 料理の技術に例えましょう 常に私は新しい料理や技術、環境を求め
心の泉が乾いては修行の場を「あがり続けました」
行く店行く店やり方も違い 行く度行く度 慣れるまでの大変な想いをしてきましたが
その一つ一つがひげじいに詰まっていると思います。
今回 皆さん伝えることは このブログでもしょっちゅう出ていたくろひげ料理長
「奧谷」がひげグループをあがり、今度は違うレストランで修行をすることになりました
突然でも、何かがあった訳でもありません
別の処での修行を勧めたのは 間違いなくこの私なんです
私と奧谷が出会ったとき ある居酒屋でバイトをしていた、紹介で私と一緒にひげじいを
立ち上げることが決まった一人目のスタッフです、数えると3年半ほど奧谷はひげじいで
やってくれました、この三年間はきっと彼にとっても私にとっても内容の濃い三年だった
何が起こり どんな苦労をし どれだけ楽しい日々を過ごしたかは もう言葉にならない
彼は私が育てた 第一号でひげじいの中でも二人での時間を長く過ごした方ではないですかね
私から観て、22歳だった彼は大人になり まだまだながらもりっぱに料理をする奴に
成長しました。
残念な事に、私も料理をする機会が少なくなり更に今現在のグループでは今より 上の
技術をする機会がなかなか無い事ですかね まだまだ私の知っている技術はあるけど
機会がない 私では無いんですけど奧谷の料理人としての心の泉が枯れる前に旅立ち
ちがう世界を見るべきだと思い今回の話を勧める事にしました
もちろん次に奧谷が働く場所は次のステップに申し分の無い所に決まっています。
きっと 良いスタッフをもったいないとか思う方もいると思いますが、料理をして来た
私だから 将来の事を考えたとき彼がいろんな事を学ぶには今しかないんです
会社にとっては 明らかにマイナスですが 私も今までそう生きてきたんです
これでいいんです。
ひげグループを旅立つ奧谷それを実送らなければいけない 私は悲しくない訳がありません
奴には どれだけ怒り どれだけ笑い どれだけ助けられたかわからない
人は出会い 人は別れ 人は旅立つ私の作ったひげじいにもそれだけの時が流れたと
言う事ですよね、これが普通、ひげグループには奧谷がいなくなっても、穴を埋める
濃いスタッフ達が山ほどいる。
「これでいいのだ」。
自分に言い聞かせているかもしれないですね
これからの私たちがする事は 決めてある
奧谷が又 戻りたくなるような発展しまくるグループであり続け いつの日か又パワーアップ
した奧谷を迎えるビックなグループでありたいと思います

まだ居るけど
行ってらっしゃい 奧谷文俊
よく聞きますよね、でも今回の言葉はちょっと意味が違う意味で
料理人が職場を辞める時によく使う言葉で私も使ってました、しっかり意味は
わかりませんが 私なりに考えた意味は調理の仕事を続けながらも 働く場所を変える時
「今の店を あがる」と使うのだと思う、漢字もどう書くのかすらわかりません。
私は今に至るまでに 何件もの店やホテルで働いて来ました、本当は一つの店や会社で
長く働いていたほうが言いに決まってる、でもそれでは満足が出来なかったのだと思ってます
私の心の中には、泉があり水があってもどんどん吸収されてしまう
今はその水の事を 料理の技術に例えましょう 常に私は新しい料理や技術、環境を求め
心の泉が乾いては修行の場を「あがり続けました」
行く店行く店やり方も違い 行く度行く度 慣れるまでの大変な想いをしてきましたが
その一つ一つがひげじいに詰まっていると思います。
今回 皆さん伝えることは このブログでもしょっちゅう出ていたくろひげ料理長
「奧谷」がひげグループをあがり、今度は違うレストランで修行をすることになりました
突然でも、何かがあった訳でもありません
別の処での修行を勧めたのは 間違いなくこの私なんです
私と奧谷が出会ったとき ある居酒屋でバイトをしていた、紹介で私と一緒にひげじいを
立ち上げることが決まった一人目のスタッフです、数えると3年半ほど奧谷はひげじいで
やってくれました、この三年間はきっと彼にとっても私にとっても内容の濃い三年だった
何が起こり どんな苦労をし どれだけ楽しい日々を過ごしたかは もう言葉にならない
彼は私が育てた 第一号でひげじいの中でも二人での時間を長く過ごした方ではないですかね
私から観て、22歳だった彼は大人になり まだまだながらもりっぱに料理をする奴に
成長しました。
残念な事に、私も料理をする機会が少なくなり更に今現在のグループでは今より 上の
技術をする機会がなかなか無い事ですかね まだまだ私の知っている技術はあるけど
機会がない 私では無いんですけど奧谷の料理人としての心の泉が枯れる前に旅立ち
ちがう世界を見るべきだと思い今回の話を勧める事にしました
もちろん次に奧谷が働く場所は次のステップに申し分の無い所に決まっています。
きっと 良いスタッフをもったいないとか思う方もいると思いますが、料理をして来た
私だから 将来の事を考えたとき彼がいろんな事を学ぶには今しかないんです
会社にとっては 明らかにマイナスですが 私も今までそう生きてきたんです
これでいいんです。
ひげグループを旅立つ奧谷それを実送らなければいけない 私は悲しくない訳がありません
奴には どれだけ怒り どれだけ笑い どれだけ助けられたかわからない
人は出会い 人は別れ 人は旅立つ私の作ったひげじいにもそれだけの時が流れたと
言う事ですよね、これが普通、ひげグループには奧谷がいなくなっても、穴を埋める
濃いスタッフ達が山ほどいる。
「これでいいのだ」。
自分に言い聞かせているかもしれないですね
これからの私たちがする事は 決めてある
奧谷が又 戻りたくなるような発展しまくるグループであり続け いつの日か又パワーアップ
した奧谷を迎えるビックなグループでありたいと思います

まだ居るけど
行ってらっしゃい 奧谷文俊