2010年03月13日
幻の名店。

最近「味道」(MIDOH)と言う、私の通った「松本調理師専門学校」が出したフリーペーパがあります。
卒業生がやってるお店を紹介と学校のパンフレットが一緒になった様な雑誌で その中で「ひげじい」と「くろひげ」を二ページも使って取り上げてくれてる。
私がその雑誌を受け取ったのは 三日ほど前で開いてみると 同級生だった奴が二代目としてやっていたり 有名なあのお店のオーナーは同じ学校だったんだ。と気が付いたり、懐かしくなったりしました。
調理師学校から出る本は これで二冊目で去年も やっぱりこの時期に出てました、去年も思いましたが、私は 学校がらみで自分と「ひげじい」が出ると事があると
「本当は更にもう一件 素敵な店があったはずなんだ」と思う。
「幻のお店」
そのお店は 出来てもいないし始まってもいないし オーナーも居ない。
オーナーに成るべき人は居ました、その人は私の一個 年上の先輩で私が諏訪のホテルに居る時に出会った初めて 親元を離れ初めてのホテル、ホテルは働いてる従業員も多く 専門分野に分かれていて私の居たホテルも 中華 洋食 和食 宴会和食と分かれていました。
私は洋食を やっていて普段はレストランに居ましたが 結婚式があると宴会和食の厨房に行き結婚式用のフレンチを作っていました、まだ入ったばかりで 宴会和食の厨房に行っても知ってる人など誰も居ない
中、その先輩は私に話しかけて来た。
「お前 松本調理師学校出たんだって、オレも出てるから オレは先輩だよろしく」。
職人ばかりで空気が重い 和食の厨房からこんな ちゃらちゃらした軽い言葉を聞くとは思わなかったので驚いた、職人嫌いの私には その先輩の軽さとチャラチャラがとても良く すぐに仲良くなった、と言うかその人しか 仲良くしてくれなかった、そこから仲良くなり良く遊んだ初めての「ナンパ」もその先輩に連れてかれた、歌が上手く しゃべりも面白く私は先輩にあこがれた。
そしてその先輩は、結婚式の時だけ 現れる私に良く 洋食の疑問を聞いてきた「あれどーやって作るの」「これどーするの」といつも聞いてきた。その質問に私はいつでも答えられるようにしたかったので、私も勉強していた、質問に答えると先輩は決まって「お前はさすがだ!」と言ってくれる やり取りが心地よかった。
先輩がいつも口癖のように言ってたのが「オレは自分で店をやる」。私も目標だったので負けじと「オレもやるス。」と言っては「こんなお店」「あんなお店と」話してましたね、その時私は22歳 先輩は23歳とまだまだ若い二人ですが目標を語り合ってた。
出会って一年も経った頃 私にとっては自分の店なんてまだまだでしたが 先輩にはどうやらめぼしが付いたらしく私に言った「横水 オレはやるぞ でもその前に東京に行ってくる」、「一度 東京で働いておかないと駄目なんだ」聞いてる私もうれしくなった そしてがんばって下さいと見送った。
でもそれが最後の会話だった。
何ヶ月かして 先輩が亡くなった話を聞いた。病気になったらしい。先輩は親族以外誰にも言わなかったらしい こっちの病院に入院してたらしいけどそのままなくなってしまったらしい、私も詳しいことは聞かなかったし 聞きたくなかった。
葬式には行った 身近な若い人が居なくなるのは 初めてだった、そこでやっとほんとに居なくなったことに気づかされた 認めたくなかったのでしょうね 「そして人は若くてもこの世から居なくなることがあるんだ」と思った その場で先輩のことを考えた 誰にも言わなかったのは本当に「悔しかった」からだろうなこれから 夢が叶う目先での病気、自分がその先輩だとしたら 泣いても泣いても足りないと思う。
かっこ付けてるかも知れないけど、自分は絶対店をやろう、彼の分もやろう、成功しようとその時本気で思った。
もう八年くらい前の話で 自分の事に精一杯でこの出来事が薄れてたこともあったけど 調理師学校のパンフレットに卒業生がやってるお店を紹介していたことから思い出した。
本当だったら 私のページの近くに先輩が乗ってって、常に笑ってる人だったのできっと写真も笑ってる、和食のお店で「大人気の名店!」と見出しがあったでしょう。
何て名前の店だったのかな?
売りは何かな?
ひげじいとどっちが立派かな?
そんなこと考えても ない物はないんですけど、心から先輩のお店が載ってってほしかったし 一緒に載りたかったですね。一番好きだった あの先輩と。
このフリーペーパーは とりあえずひげじい くろひげにおいてあります見たい人は遊びに来て下さい。

Posted by ひげじい at 15:31│Comments(0)
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