私が通勤している道には大きなグラウンドがありそこで山形村の少年野球チームが練習をしている
私も小学校の時にはこのチームで野球をやっていました
二十年以上経つ今でも 監督は同じで、たまに眺めていると相変わらず
威勢のいい声を出している、その姿を見ると何だか嬉しくなりますね。
野球をやっていた頃を思い出すと 忘れられない場面が頭に浮かぶ
一番の思い出はある大会のひと試合で 最終回ツーアウトでランナーを二人置いて
一打逆転の場面で打順が回った自分、自分が撃てば勝つと言う場面でバッターボックスに立った。
子供ながら「この試合勝つために打つ!」と意気込み 結果はホームランを打った
ホームに帰るまでのダイヤモンドを走る中 ベンチからは皆が出てホームで
自分の帰ってくるのを待っている、キングは他の子の父母と握手をしながら大はしゃぎ
ヒーローになった気分だった。
それから先もなぜか そんな時にばかり打順が回って来る事が多く 自分でも
良く分からないのですが そんな時は必ず打てる美味しい少年でしたね。
結局野球は中学の時に肘を壊して辞めてしまいましたが そのままやっていたら
「プロ野球の選手だったな」と思うようにしている。
今こうして思い返して見ると なぜ打てたのか?結果が出たのか不思議です
きっと今もそうなのでしょうが 事を起こした時大事な事は「過程」より「結果」で
良い結果を 思い浮かべた時にどんな過程を送ればいいのか見えてくる
結果を持たない過程に結果はついてこないと言う事ですかね
小学生の私も この試合に勝つためには打たなければと集中したのが良かったのかも
しれませんね。
何でもそうだと思いますが 良い試合が良い思い出になるのではなく
勝った試合が良い思い出になる、今の私もひげじいが駄目だったとしたら
思い出したくない過去になってしまう でもこのまま上手く行けば過程も良い思い出
として残せます
私のこれからの結果は「世界のひげじい」です その為に今できる過程を過ごさないといけませんね。