今年の5月で34歳になる私ですが、私にも若い頃があった。
私は 何件もお店を回って来ましたが その中でもっとも今の私に影響を与えたお店が、松本に住んでる方なら誰でも知ってる老舗の洋食屋さん「レストランどんぐり」ちょうど二十歳ぐらいの時から 一年半ほど働きました。
どんぐりに良く行った方でしたら「ひげじい」のメニューを見ると「なるほど」と思うかも知れませんね、その通りで真似してるつもりはありませんが やっぱりどんぐりの影響を受けてる感じはしますよね。
和食をやっていた私が洋食人生をスタートさせた一番最初のレストランでコックさんのカッコが出来るのがうれしかったけど 働き始めると甘いものではなかった、今考えてもすごいと思うほど 毎日毎日お客さんが来る土日なんてものすごくていつも週末が来ることにおびえていた。
そしてあの店長「浅田さん」ですね。この方がきっと今の私の性格を作りましたね、その怒りっぷり、変なお客のおどしっぷり、混んでるお店の回しっぷり、人の心を掴む面白い話の話しっぷり、そしてたまに見せる優しさ、どれを取ってもすごい人でした。
入ったばかりの頃は 毎日毎日店長に怒られ、いつも「闇討ち」してやると考えているほどでしたね。
でも本当に勉強になった、そしてその時の どんぐりの高校生のアルバイトに居たのが 皆さんご存知「ゆか様」です。
店長の考えるどんぐりのメニューはどれも魅力的でお客さんに受けてた、ネーミングも料理もボリュームもすばらしかった、私は将来どんぐりの様な洋食屋さんをやろうとこのとき思いましたね。
これだけ私に影響を与えたレストランですが、その日々は「過酷」過ぎてはっきり行って私にとってはとても楽しい日々とはいえなかった。そしてちょうど半年も経つと、従業員のコックさんが 一人辞め、それに続き 20年勤めた料理長まで辞めてしまった、一人残された私 毎日鬼のような仕込みとお客さんで参ってましたね 休みの日は倒れて寝てるだけ生きてる気がしない日々だった 若い私には耐えがたかったですね。でもこんなことで逃げ出せないという 変なプライドがあり「こんな事でやめられるか!」といつも思ってましたが、事件は起こった。
ほんのささいな事で、店長ともめてもう嫌になって店を飛び出した。その時は勢いで飛び出したけど 直ぐに自分の「弱さ」「情けなさ」に悲しく 悔しく 職を失って「惨め」だった。そして店長はじめどんぐりの皆に 迷惑をかけた。
そして その頃の彼女は近くのジェラート屋さんで働いていて 足は彼女のほうに向いて歩いていた、ちょうど休憩になった彼女とビルの屋上に行き「辞めて来た」と伝えると、彼女は私を抱きしめ ただ「お疲れ様」と言った、彼女はずっと大変な思いをしてがんばった私を見てたのでしょうね そんな優しい言葉ではなく起こられると思っていた私は その言葉にすごく泣いてた。
そのまま夕方家に帰ると、農家の両親が変な時間に帰って来た私を見て「辞めて来たか!」と直ぐに言った。そして何も攻めず「明日から 手伝え」と言った言葉には我が親ながら「親の器が」でかくて「はい手伝います」としか言えなかった。
本当に私の周りの人々は 立派な人ばかりで誰も攻めず私の好きなようにさせてくれた。
こうして悪い感じで 離れてしまった私は諏訪のホテルに渡りましたが、あそこでどんぐりを飛び出した後悔は頭から離れなかった。
そして 洋食屋「レストランひげじい」をオープンさせる数日前に 私は昔の私に「けり」を着けに、更に店長に昔の事を謝ろうと「どんぐり」に行った。行かないとこれからの先の自分は上手く行かないような気がした、十年ぶりの店に入ると 浅田店長は直ぐに私のことがわかり 十年ぶりに話をし昔の事を誤り、食事をした 今も変わらず私にとって、魅力的な見本になる影響を与えられるレストランであったことが嬉しく 引きずってた思いを断ち切った私はスッキリした。この一日も私にとったら忘れられない日でしたね
この時私はひげじいをどんぐりの様な素敵なレストランにしようと改めて思った、そして私は店長のような人に影響を与えられる人になる事を目標にした。
ひげじいが始まってもうすぐ三年、今ゆか様とひげじいで再開して一緒に働いてるのも、どんぐりがらみの運命を感じる、そして最近ゆか様が「たかさん どんぐりの店長みたいになったね!」と突然言って来た、どうも知らず知らずのうちに 目指してるものに近づいてるかも知れませんね 私も!
どんぐりで働いてよかった。